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「かくすればかくなるものとしりながらやむにやまれぬ大和魂」(吉田松陰)

「かくすればかくなるものとしりながらやむにやまれぬ大和魂」(吉田松陰)

大和魂!
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http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101105/acd1011050305001-n1.htm

【次代への名言】非常の師弟編(24)
2010.11.5 03:05

 ■「かくすればかくなるものとしりながらやむにやまれぬ大和魂」(吉田松陰)

 1854年3月下旬、若き志士、吉田松陰は、門弟の金子重之助(しげのすけ)とともに、伊豆・下田港沖に停泊していた米国軍艦に乗り込み、米国への亡命を申請した。
 鎖国下にあった日本では、死罪を賭した行為だった。2人はそう説明し、海外雄飛の志を訴えた。しかし、提督のペリーは会おうともせず、「受け入れ拒否」を通告した。追い返された2人に残された道はいさぎよく奉行所に自首し、武士としての誇りを保つことだった。
 松陰は罪人用の籠(かご)に乗せられた。江戸城まで北へあと5キロほどのところで、泉岳寺を過ぎた。ここには、武士道がすたれつつあった時代に大義に生きた赤穂浪士が埋葬されている。そう思ったとき、胸にわき出たのが冒頭の和歌だった。
 「泣くまいと思っていても、どうしても涙がこぼれ落ちてしまう」
 5年後、渡海の失敗と、その後の運命の転変を思い、獄中の松陰は人知れず、ほほを濡(ぬ)らした。そんな松陰の最大の理解者は、やはり師の佐久間象山だった。彼はつづっている。
 「学問あるも、防海(国防)の要を知らざるものは学問ありとなすべからず。防海の要を知るも忠勇義烈の志を持たぬものは学問ありとなすべからず。学問、防海の要、忠勇義烈の志があり、しかも順境ではなく、逆境に身を置いてはじめて、ものごとを語る資格がある」(文化部編集委員 関厚夫)


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絶対推薦購読新聞:産経新聞
(絶対追放廃刊新聞:朝日新聞・他)

唯一、産経新聞だけが日中記者交換協定の政治3原則受入を拒否:
(1) 中国敵視政策を行なわない
(2) 2つの中国をつくる陰謀に加わらない
(3) 日中国交正常化を妨げない

昭和39年4月、日中記者交換協定で中国へ駐在した記者は
産経、読売、毎日、西日本、NTV、日経、共同通信、NHK朝日の9社から。
しかし中国を中傷したとして記者たちは逮捕、抑留、追放等されるが
唯一 朝日新聞だけが中国に駐在を継続。

その後、各社は中国からの政治3原則を受け入れた、産経新聞だけを除いて。
(今も産経新聞記者は中国に"旅行者"としてのみ記者を派遣、他社記者は駐在。)

朝日新聞NHK、他は、隠し、歪曲し、捏造し、嘘をつき、国を売る。
今、朝日新聞社ビルの同じ階についたて越しに反日・人民日報東京支局がある。
反日・ニューヨークタイムズ東京支局もある。
売国奴新聞・朝日新聞
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