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武士と日本軍将兵と自衛隊員の生き方

日本の防人(さきもり)たちの志はずっと変わらず、同じに違いない。

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武士的生き方とは何か。

-勇武の精神、卑怯未練を恥ずる心、
-苦難に耐え忍ぶこと、
-利益よりも名誉を重んずること、
-外より賤(いや)しめられることを嫌悪すること、
-貪欲を嫌忌すること、
-奢侈(しゃし)を排し質素にすること、
-敗者に対し礼を失わずいたわること、
-そして主君への忠義と父母への尊敬
などである。

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http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101110/acd1011100736004-n1.htm

【元気のでる歴史人物講座】(96)源頼朝 武士の生き方を規定
2010.11.10 07:34

 日本人の国民性の形成に大きな影響を及ぼした一人が源頼朝である。武家政治の創始者である頼朝はその後700年続いた武家政治と武士の生き方を規定するうえに決定的役割を果たした。武士道と呼ばれる生き方は頼朝の旗下で生まれ育った。
 日本文化を「繊細な感受性と勇敢なる気性の類(たぐ)い稀(まれ)なる結合」と呼んだ人がいる。手弱女(たおやめ)ぶりと益荒男(ますらお)ぶり、または「菊と刀」といってよいが、前者が朝廷公家の文化であり、後者が武士の生き方であった。
 武士的生き方とは何か。勇武の精神、卑怯未練を恥ずる心、苦難に耐え忍ぶこと、利益よりも名誉を重んずること、外より賤(いや)しめられることを嫌悪すること、貪欲を嫌忌すること、奢侈(しゃし)を排し質素にすること、敗者に対し礼を失わずいたわること、そして主君への忠義と父母への尊敬などである。頼朝は身をもってこれを示した。
 頼朝は幕府政治の開始にあたり、常に尊皇の大義を掲げ名分を明らかにし、事ごとに朝命(ちょうめい)を奉じ、院宣(いんぜん)を請うた。清和源氏の嫡流たる頼朝は何より尊皇心深く、皇室に対して宗教的敬畏の至情をもって仕えた。
 一武士が勅命に背いて乱暴を働いたとき、頼朝は「綸命(りんめい)(勅命)に違背(いはい)するの上は日域(にちいき)(日本)に住すべからず」と言い放った。武士道の究極は尊皇にある。この頼朝の規範が結局後世の武士を拘束し指導した。本当の武士はみな国体の尊厳を自覚し純忠至誠に生きた。(日本政策研究センター 主任研究員 岡田幹彦)

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絶対推薦購読新聞:産経新聞
(絶対追放廃刊新聞:朝日新聞・他)

唯一、産経新聞だけが日中記者交換協定の政治3原則受入を拒否:
(1) 中国敵視政策を行なわない
(2) 2つの中国をつくる陰謀に加わらない
(3) 日中国交正常化を妨げない

昭和39年4月、日中記者交換協定で中国へ駐在した記者は
産経、読売、毎日、西日本、NTV、日経、共同通信、NHK朝日の9社から。
しかし中国を中傷したとして記者たちは逮捕、抑留、追放等されるが
唯一 朝日新聞だけが中国に駐在を継続。

その後、各社は中国からの政治3原則を受け入れた、産経新聞だけを除いて。
(今も産経新聞記者は中国に"旅行者"としてのみ記者を派遣、他社記者は駐在。)

朝日新聞NHK、他は、隠し、歪曲し、捏造し、嘘をつき、国を売る。
今、朝日新聞社ビルの同じ階についたて越しに反日・人民日報東京支局がある。
反日・ニューヨークタイムズ東京支局もある。
売国奴新聞・朝日新聞
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